タグ・ホイヤーについて押さえておきたい10のポイントを時計と共に解説

FEATUREWatchTime
2021.04.26

6.クロノグラフ・レース

ホイヤー「キャリバー11」

世界初自動巻きクロノグラフのひとつである、ホイヤー「キャリバー11」のオリジナル。

 自動巻き腕時計が市場に出回ると、手巻き式は販売店の棚に眠ることとなり、自動巻きモデルを中心に飛ぶように売れていった。自動巻きクロノグラフに手応えを感じた3つの会社及び共同開発グループが、当時他社がどのようなモデルを構想しているかを知ることなく、独自に開発に着手していた。つまり、どこが最初に自動巻きクロノグラフを市場投入するかの競争が、人知れず始まっていたのである。そのうちの1社がセイコーであり、2社めがゼニス。3つめはホイヤー・ブライトリング・ビューレンの共同開発グループであった。その共同開発グループは新規ムーブメントを1969年3月のバーゼルで発表することを予定。それまで共同開発グループには、プロトタイプの製造と量産に向けたシミュレーションを行う時間があったのだ。

 すると1969年1月にゼニスがエル・プリメロを発表。そしてホイヤーと、そのパートナーは予定どおりに3月のバーゼルにおいて発表を行った。計画どおり、発表を裏付ける開発段階にて作られた数百の試作機を擁し、商業的量産体制のデモンストレーションを実施したのである。一方ゼニスはというと、バーゼルにおいてはいくつかの試作機を紹介するに留まっていた(しかしながらフェアに言うと、エル・プリメロのキャリバーはより洗練された内容だった)。ホイヤーはムーブメントをキャリバー11と名付け発売し、その初の自動巻きクロノグラフ・キャリバーの開発者という事実を時計史に打ち立てたのである。


7.レースに参戦

スティーブ・マックイーン

映画『栄光のル・マン』において、ホイヤーの「モナコ」を着用するスティーブ・マックイーン。

 いくつかのタイムピースがカーレースに結び付けられ登場したが、そのなかでも特別と言えるのが、2019年に誕生50周年を迎えたホイヤーの「モナコ」であろう。映画『栄光のル・マン』において、スティーブ・マックイーンが着用し一躍著名モデルとなった。ドライバーのマイケル・ディレイニー役を演じたマックイーンは、友人でありカーレーサーのジョー・シフェールにアドバイスを求めたという。

 映画のなかでマックイーンは、シフェールの、Chronograph Heuerのロゴの入ったレーシングスーツを着用した。役作りのための時計を選ぶ段階で、マックイーンが選んだモデルこそ「モナコ」なのである。そしてその時計は歴史に名を残すことに。現在、モデル1133はコレクターの間で“マックイーン・モナコ”と呼ばれている。


8.ジャックの帰還

ジャック・ホイヤー

左:若かりし頃のジャック・ホイヤー、右:2001年にタグ・ホイヤーの名誉会長として復帰したときのポートレイト。

 1962年に自身の名を冠する会社を受け継いだジャック・ホイヤーは、TAGグループによる買収を受けた1985年まで会社を率い、その任を離れた後は電気関係の会社に関わっていた。ホイヤー在任中のジャックは何年もの間、ブランドが進むべき方向を定める羅針盤のような役割を果たしていた。そこでは「カレラ」の開発と発表が進められ、キャリバー11の開発プログラムも進行していた。スティーブ・マックイーンによる映画『栄光のル・マン』でのモナコ抜擢も、ジャック在任中の出来事だ。

 1971年から1979年の間に同社がフォーミュラ1のレースにおいてオフィシャルタイマーを務めた際も、ジャックはホイヤーを統括する立場にあったのだ(余談だが、レースドライバーのジェームス・ハントとニキ・ラウダが闘いを繰り広げる模様を描いた近年の映画『ラッシュ/プライドと友情』のなかでも、ホイヤーのロゴを見ることができる)。

 2001年にジャック・ホイヤーは、自身の名を冠する会社に名誉会長として復帰し、その後タグ・ホイヤーはさらなる高みに到達する。そのうちのいくつかのストーリーは、後述を参照していただきたい。

 ジャック・ホイヤーは2013年11月18日に、81歳の誕生日を前に引退した。なぜその日を選んだのかと問われると、ジャックは「自身で仕事をするのは80歳までと決めていた」と語った。彼は紳士であり、すべての人に愛され、自身がその構築に尽力した時計業界のレジェンドとして、今も語り継がれている。


9.モナコ V4

モナコV4

タグ・ホイヤーをカッティングエッジなムーブメントメーカーへと躍進させた「モナコV4」

「モナコ」の知名度は充分に高かったが、それを2004年にタグ・ホイヤーはバーゼルワールドで発表したコンセプトウォッチ「モナコV4」により、さらなるネクストレベルへと昇華させた。CEOのジャン-クリストフ・ババンは、V4についての表明を以下のように行った。「タグ・ホイヤーはカッティングエッジな開発とアヴァンギャルドな機械式ムーブメントにより、新たな高みを目指すだろう」

 V4における誕生の道のりは決して平坦なものではなかった。まず設計・デザインに数年を擁し、初出となる「モナコV4」は、奇しくもモナコで開催されたオンリー・ウォッチのチャリティオークションにて2009年に落札されている。その後発売された幾つかのリミテッドエディションは、すべてソールドアウトを記録している。

「モナコV4」は、そのムーブメントが時計業界の伝統を打ち破るものであったため、一種の挑戦となったのだ。通常の輪列や歯車を用いる代わりに、V4のムーブメントで使用されたのはベルトであり、そのデザインは車のエンジンにインスパイアされたものだった。多くの人々がV4の稼働は困難だろうと考えたが、タグ・ホイヤーは解決すべき課題こそブランドに新たなる開発力をもたらす動力源と考えたのだった。そしてその打開にとりわけ尽力したキーパーソンがギィ・セモンであった。


10.超高速

マイクログラフ

左から順に:マイクログラフ、マイクロタイマー、マイクロガーダー

 1/10秒など微細な時間を計測するのには、以前は3万6000振動/時の機械があれば良いと考えられていた。そこに航空物理学のエンジニアであったギイ・セモンがタグ・ホイヤーに入社し、状況は一変した。V4開発で試練を乗り越えた後、セモンは頭角を現しタグ・ホイヤー内において立て続けに「ホイヤー カレラ マイクログラフ 1/100th クロノグラフ」(毎時36万振動、100分の1秒計測可能)、「マイクロタイマー フライング1000」(毎時360万振動/時、1000分の1秒計測可能)、「マイクロガーダー 5/10,000th」(毎時720万振動/時、1万分の5秒計測可能)を発表した。

 セモンはこれらの超高速レートを、自身がデュアル・アーキテクチャーと呼ぶムーブメント設計によって実現。それぞれのムーブメントには2つの香箱が搭載され、振動数が異なるエスケープメントにより制御される輪列へパワーを供給している。低い振動数の方は時間計測を司り、早い振動数の方はクロノグラフの制御用となる。

「マイクロガーダー」はさらにその先を行き、伝統的なエスケープメントの代わりに3枚の小さな振動するブレードによって時間を計測するのだが、数年前であれば滑稽に聞こえた方法だっただろう。それがどれぐらいの速さかというと、「マイクロガーダー」のクロノグラフ秒針は、文字盤上を1秒間に20周するため、その動きを目視することはできない。セモンは機械式クロノグラフ開発における新時代到来を告げる人物となったのだ。


Contact info: LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン タグ・ホイヤー Tel.03-5635-7054


2021年 タグ・ホイヤーの新作時計まとめ

https://www.webchronos.net/features/62786/
時計史に輝く1969年の自動巻きクロノグラフ開発競争(前編)

https://www.webchronos.net/features/49999/
タグ・ホイヤーの神髄「カレラ」の引力。新作やおすすめモデル8選

https://www.webchronos.net/features/52696/