もうひとつ意外だったのが、ティファニーブルーがあしらわれたノーチラスだった。オークションに出された個体が信じられないような価格で落札されたため、ティファニーブルーに似たターコイズブルー文字盤を持つ時計は、価格が軒並み高騰するようになった。しかし、ターコイズブルーとティファニーブルーは似て非なるもので、後者は再現が難しいのである。そして今回、フルッキガーは、その微妙な色味を完全に再現してみせた。手法はペイントだ。メッキではこの色はまず施せないし、PVDでも無理、と考えれば、ペイント、つまり塗装で仕上げるは当然だろう。その証拠に、印字は立体的である。仮にメッキやPVDであれば、フルッキガーの得意とする、印字を薄く鮮やかに施す技術を使えたはずだ。
パテック フィリップという会社は、時計の種類によって、文字盤の仕上げを細かく変えてきた。例えば、ノーチラスやアクアノートといったスポーツウォッチ。強いショックを受けるこういったモデルに、ペイント仕上げの文字盤を与えると、表面にクラックが入る可能性がある。おそらくはそれが理由で、パテック フィリップは、新しいスポーツモデルの文字盤を基本的にメッキで仕上げてきた。グラデーションを付けるため、外周にペイントを載せることはあっても、それはあくまで補足。メインはメッキであり、その薄い仕上げは、文字盤の繊細な下地を強調するにぴったりだった。ところが今回パテック フィリップは、一転して全面ペイント文字盤を採用したのである。
なお、スポーツウォッチにペイント文字盤を多用してきたのはロレックスとセイコーだ。この2社は、試行錯誤の末、割れにくく、退色しにくいペイント文字盤を完成させた。主な手法としては、ラッカーを厚く塗り、表面を研ぎ上げる、いわゆる「ポリッシュラッカー仕上げ」だ。ちなみに、ヴァシュロン・コンスタンタンの「オーヴァーシーズ」の実に優れた文字盤も、これと同じ製法である。対してパテック フィリップのティファニーノーチラスは、見た限りで言うと、普通にペイントを吹いただけである。しかも、下地が見えることを考えると、結構な薄塗りだ。あえて厚塗しなかったのは、文字盤の下地に施された、繊細なニュアンスを潰したくなかったためだろう。
しかし、こういう「薄い」仕上げで、しかも鮮やかな発色を持つ文字盤を、スポーツウォッチに載せた例は、筆者の見た限りで言うと他にない。新技術というわけではないが、パテック フィリップは何か新しいブレイクスルーを見つけたのだろう。その象徴が、ティファニーブルーのノーチラスだろう。
フルッキガーの買収以降、パテック フィリップは、文字盤にかつてない試みをどんどん加えてきた。今後10年は、文字盤の開発競争が激しくなるという予想がある。と考えれば、2022年以降のパテック フィリップには、より一層注目したほうがよさそうだ。間違いなく同社は、面白い色や、かつてない仕上げを文字盤に盛り込んでくるはずだし、それはロレックスなどにも反映されていくに違いない。文字盤の世界でもひときわ目立った存在であるパテック フィリップ。なるほど、同業他社が敬意を払うのも納得だ。