初期のカタログ。「セーフティーファースト」と銘打たれた小冊子には「(レベルソは)近代的な男性やスポーツウーマンにとって欠くことのできない時計であり、衝撃にさらされる時計の欠点を克服した」と記される。左は操作方法の説明。「ケースを指で押し、時計を反転させ、スティールバック側にするだけ」とある。

原点から辿るレベルソ進化論

1931年にリリースされたレベルソは、開発の経緯と、おそらくは製造上の問題から、ジャガー・ルクルト銘を名乗れなかった。
裏返して言うと、計画に携わったジャガー社とルクルト社でも製造できなかったほど、レベルソは斬新な時計だったと言えるだろう。
後に、この時計は優れた実用機となるが、ふたつの弱点がレベルソの将来に影を落とすこととなる。

セザール・ド・トレー

企画者のセザール・ド・トレー。スイスとイギリスを拠点に人工歯製造会社を国際的に展開する一族に生まれる。後に、チューリヒにド・トレー・ブラザーズを創業。デンタル用品だけでなく、モバードの「エルメト」、ルクルトの「アトモス」など、スイス製時計の輸出にも携わった。
ジャック・ダヴィト・ルクルト

当時、ルクルト社取締役であったジャック・ダヴィト・ルクルト(1875~1948年)は、同社をさらに飛躍させるべく、ケース製造などを手掛けるエドモンド・ジャガーと提携。ルクルト銘で時計をリリースした。1937年、両社はジャガー・ルクルトとなった。

 話は1930年にさかのぼる。イギリス軍のある将校が、実業家のセザール・ド・トレーに「ポロの競技にも耐えられる時計が欲しい」というリクエストを出した。ケースを反転させてガラス面を保護するというアイデアを得たド・トレーは、商品化の企画をジャガー社とルクルト社に持ち込んだ。両社は快諾し、おそらく同年にレベルソのプロジェクトがスタートした。

 独創的な反転ケースを設計したのはルネ・アルフレッド・ショヴォーである。彼は開発費用として1万スイスフランを受け取り、さらに、時計が1本売れるたびに2.5スイスフランを得た。アイデアを出したド・トレーも暫定的に特許を保有した。しかし、彼は特許料を要求しなかった。おそらく、ド・トレーは特許の対価より「ビッグ・ディール」に興味があったのだろう。彼は、ルクルト社のジャック・ダヴィト・ルクルトとともに「ソシエテ・デ・スペシャリテ・オルロジェル」社(1931年)を設立。プロジェクトの管理と、後にはレベルソの販売に携わった。

イギリスおよびその植民地でポピュラーな競技がポロ。公式には「インド・ポロクラブに所属するイギリス人将校からの依頼でレベルソは誕生した」とある。しかし、異説では、ド・トレーがポロ競技後にダメージを受けた時計を見て、反転ケースのアイデアを思いついた、ともある。

ジャガー・ルクルトを代表するレベルソには、これまでさまざまなムーブメントが搭載されてきた。その伝統は、今なお変わっていない。これは、現行のレベルソが搭載するムーブメントの一覧。トゥールビヨン、ミニッツリピーターを含む、あらゆるムーブメントが揃っている。ケースサイズの拡大は、90年代以降のレベルソに大きな可能性を与えた。

1946 レベルソ(センターセコンド)
ルクルトはセンターセコンド化への取り組みも早かった。1933年には、レベルソにセンターセコンドモデルを追加している。これはCal.410系をセンターセコンドに改良したCal.437を搭載。手巻き。16石。1万8000振動/時。18KPG。非防水。ジャガー・ルクルト蔵。

 プロジェクトで問題となったのは、設計ではなく、むしろ製造であった。ド・トレーが、ジャガー社とルクルト社に企画を持ち込んだ理由は、前者がケースを、後者がムーブメントを作ることができると踏んだためである。事実、パリのジャガー社は、25年の時点で「デュオプラン」用の精密なSSケースの製造に成功している。だが、同社をもってしても、レベルソのケースは製作が困難だったようだ。ジャガーとルクルト両社はケース用の加工ツールをA&Eウェンガー社(当時、パテック フィリップのケースサプライヤーであった)に提供し、ケースの供給を仰いだ。当初の計画では、ムーブメントはルクルト製となるはずであった。しかし、ルクルト製の分厚いデュオプラン用ムーブメントは、試作品には収まらなかったと資料にある。結果、初期のレベルソは、応急処置としてタバン製のキャリバー064を積むことになった。

1933 レベルソ(スモールセコンド)

1933 レベルソ(スモールセコンド)
タバン製のムーブメントではなく、ルクルト製のCal.11を搭載したモデル。優れた精度を備えるこのムーブメントは、1970年代後半に、レベルソの生産が完全に中止されるまで使われたと言われる。SS。手巻き。非防水。ジャガー・ルクルト蔵。
1931 レベルソ(2針)

1931 レベルソ(2針)
最初期型のレベルソ。生産時期は不明だが、信頼できる文献には「1931年のクリスマスシーズン」とある。おそらく正解だろう。ケースは9Kまたは14Kゴールド製。18Kゴールドケースは、ボトムがスティール製である。手巻き(Cal.064)。非防水。ジャガー・ルクルト蔵。

 ルクルト社が、角型ムーブメントの開発を急いだのは当然だろう。同社はレベルソの発表からわずか2年後に、名機キャリバー410系を完成させた。従来の角型ムーブメントは、女性用にも転用するため細身であった。しかし、幅の広いキャリバー410系は、標準的なスモールセコンド輪列を持つことができた。パテック フィリップの9-90(34年)、オメガのT17(35年)、IWCの87(36年)など、キャリバー410系の設計に倣わなかった角型ムーブメントはないだろう。キャリバー410系の完成によって、ようやくレベルソは文字盤に「ルクルト(またはジャガー・ルクルト)」と銘打てるようになった。

 高精度のキャリバー410系は、この〝奇抜〟な時計を優れた実用機たらしめるに十分だった。だが、限界はあった。まず、ケース幅の関係で自動巻きが載せられなかった点。当時も小径の自動巻きムーブメントは存在したが、精度は期待できなかった。また、角型ケース用のパッキンが存在しなかったため、防水性能がなかった点は、より大きな問題となった。確かに、ケースを反転できるレベルソは、ガラスを保護する点では高い実用性を持っていた。31年発表の「デラックス」に至っては、強化された風防により、いっそう優れた耐衝撃性を備えていた。しかし、自動巻きが載らないことと防水性がないことは、後にレベルソの弱点となった。ジャガー・ルクルトも次のように説明する。「60年代から70年代は市場のニーズが自動巻きやアラームなどに向いていたため、レベルソの生産を中止していた」。正確に言うと、79年(75年説もある)にレベルソは一度復活した。しかし、それはもはや愛好家向けのニッチなプロダクトに過ぎなかったのである。