BACKGROUND OF GLASHÜTTE ORIGINAL
GUBの成立からグラスヒュッテ・オリジナルへ
オールドムーブメント&デザイン小史
1997年に始まったセネタコレクションは、旧GUB時代(国営企業を示すVEB GUB、および民営化された後のGUB GmbHを含む)の実用機の特徴を、色濃く残すものだ。ではいかにして、GUBは実用機を進化させていったのか。主要モデルとともに、その歩みを振り返ってみたい。
GUBに名声をもたらしたのが、Cal.74/75「スペシマティック」である。これは1976年に製作された、国家人民軍創立20周年モデル。文字盤には戦車などが描かれている。なお翌年には、ムーブメントに金メッキを施した“グーテウーア”も製造された。個人蔵。
1959年初出。直径28mmもあるCal.60は、理論上は精度を出しやすかった。これはCal.60.3の高精度版である、グーテウーアである。文字盤には最良を示すQ1のロゴが記されている。生産数不明。個人蔵。
1931年初出。戦前のUROFAが設計したラウンドムーブメントでは最も大きな、直径23.3mmを持っていた。40年までに、UFAG分を合わせて約22万6000個が製造されたと言われる。7石または16石。個人蔵。
1951年7月1日に成立した「グラスヒュッテ・ウーレンベトリーブ」(GUB)は、そう言って差し支えなければ、旧東独地域にある時計メーカーの、いわば寄せ集めであった。戦前のUROFA/UFAG(Precis)に、A.ランゲ&ゾーネ、ゲッセル、ミューレ&ゾーン、VEBエストラー、VEBリウォスなどを加えたGUBが、体制を整え、近代的な時計を作るには時間を要した。
1960年代以前にGUBが持っていた主な基幹キャリバーは、設計をA.ランゲ&ゾーネに由来する28系と、UROFAにさかのぼるラウンドのキャリバー60系、及びレクタンギュラーの62系しかなかった。この中で主力となったのは、51年初出のキャリバー60であった。この巨大な手巻きムーブメントは年々バリエーションを増やし、やがては高精度なキャリバー60.3クロノメーターにまで発展した。60系の高精度機〝グーテウーア〟の改良版である本作は、同時期のドイツ製腕時計の代名詞であった、ユンハンスのクロノメーターを意識したモデルであり、当時最も高精度なモデルだった。しかしこの時代までのGUBは、設計にせよデザインにせよ、40年代の設計やデザインを踏襲しただけの、前時代的な時計を作っていた。
近代的な設計を持つCal.70は、GUBの業績を押し上げた。これもCal.60.3に同じく、Q1ロゴを持つ高精度版のグーテウーアである。標準機の-30秒〜+50秒に対して、−15秒〜+25秒以内の精度を誇った。個人蔵。
Cal.60系のエクステンション。約3年をかけて開発された、デイデイト表示を持つモデルである。初出は1957年。しかしすぐに後継機のCal.66.1に置き換わったため、非常に珍しいモデルである。8126個製造。個人蔵。
GUB Cal.60のベースとなったのが、Precisで設計されたCal.60である。直径28mmもあるこのムーブメントは、やがてGUBの基幹機となった。1946年初出。後にコハゼの形状が変更された、Cal.611となる。最初期モデルの生産数は約300個。個人蔵。
GUBが近代的な時計メーカーに脱皮したのは、キャリバー70系と、それをベースにした自動巻きのキャリバー67.1、68.1をリリースした60年以降といえる。工作精度が上がった結果ムーブメントの精度は向上、また各モデルの外装部品に互換性を持たせることで、ラインナップを増やすことにも成功した。旧共産圏以外への輸出が進んだこともあり、GUBの年産は、この年に約230万本まで増えたのである(ただし公称値)。
しかし輸出の本格化、言い換えるとコンペティターとの競合は、GUBの限界を露呈することとなった。60年のキャリバー70は、同時代のユンハンスやゼニスより近代的な設計を持っていたが、31年のロレックスに酷似した自動巻きは明らかに時代遅れだった。また、旧西独やフランスから購入する真鍮製のケースも、スイス製のSSケースには太刀打ちできなかった。対してGUBは、新しい自動巻きを開発し、ケースや文字盤を刷新することで巻き返しを図った。
1995年初出。グラスヒュッテ・オリジナルの創業150周年モデルとされている。当時の価格は8450ドイツマルク。ベースとなったのは自動巻きのCal.10-30。ローターを外し、優れた仕上げが施された。限定300本。個人蔵。
65年に発表された「スペシマティック」ことキャリバー74(日付なし)と75(日付あり)は、ようやく当時の世界水準に追いついた新しい自動巻きだった。直径28㎜は既存の67/68に同じだが、厚さが5.05㎜(75は5.55㎜)に減った結果、今風のシャープなデザインを持てるようになったのである。GUBが、海外市場を意識していたことは、当時の広告に明らかだろう。スペシマティックのブローシャには、比較対象として、当時薄型自動巻きとして知られていたエテルナの「エテルナマティック」が挙げられているのだ。
60年代のGUBウォッチを理解する鍵が、文字盤の造作にある。外貨の流失を防ぐため、60年以降、GUBはできるだけ旧東独国内で時計の部品を製造するようになった。おそらく、1950年代後半に当時の政権が推し進めた、共産化と無縁ではないだろう。しかしこの時代の消費者が好んだ、カラフルな文字盤を作ることは難しかったようだ。それを担ったのが、フォルツハイムの文字盤メーカー、T.H.ミュラー(現グラスヒュッテ・オリジナル)である。同社には、GUB向けに製作した文字盤のサンプルが残されており、それらの多くは鮮やかな色や立体的なインデックスを備えていた。筆者の知る限り、スペシマティック以降のGUB製ウォッチには、西独製の文字盤を持つものが少なくなかったし(後には東独でも製造したらしい)、それが60年代半ばから70年代半ばにかけてGUBの個性となったのである。その名残は、現行モデルの「シックスティーズ」や「セブンティーズ」に見て取れよう。
民営化されたGUB GmbHが製造したのが、Cal.10-30である。基本設計はCal.11系にならっているが、仕上げが改善されたほか、機構部品の多くがスイス製に変更された。初出は1993年。個人蔵。
79年にリリースされたのが、GUB最後の自社製自動巻きとなる「スペシクロン」ことキャリバー11系だった。直径は25.6㎜、2万8800振動/時に加えて、ボールベアリングで保持されるローターを持つこの自動巻きは、同時代のスイス製の自動巻きに比肩するスペックを持っていた。当初のリリース予定は73年だったが、技術不足とクォーツへの注力により計画は延期。5年後には復活したが、その時には、GUBの経営は救いようがないほど悪化していた。キャリバー11は79年にようやく生産開始となったが、その決定はあまりにも遅かった。85年までの総生産数は、スペシマティックの10分の1しかない、約30万個に留まったのである。また、ムーブメントの仕上げも、かつてのGUBとは比較にならないほど悪化していた。
1960年のライプツィヒ見本市で発表された自動巻き。手巻きの70系の上に、プリミティブな自動巻きを載せている。高級機として企画されたため、“Q1”が与えられている。生産数は19万360個。個人蔵。
1979年初出。通称「スペシクロン」。振動数を5Hzから8Hzに向上させた高精度機。日付なしがCal.11-25、日付ありがCal.11-26、曜日付きがCal.11-27となる。Cal.74/75同様、製造年によりローターなどが異なる。個人蔵。
もっとも、ムーブメントの厚みとプアな仕上げを除けば、キャリバー11系の基本設計は極めて優秀だった。自動巻きは保守的な片巻き上げだったが、巻き上げ効率は決して悪くなかったし、高振動化により精度もスペシマティックに比べて大きく改善された。
やがてこのキャリバー11は全面的なモディファイを受け、GUBを救うことになる。93年に民営企業となったGUBは、自社製自動巻きの10-30を発表。これはニヴァロックス製の耐震装置やヒゲゼンマイ、主ゼンマイなどの採用で性能を大幅に改善したキャリバー11そのものだった。そしてグラスヒュッテのウォッチメイキング150周年を祝う95年には、仕上げを一新した手巻きのキャリバー12-50をリリース。このふたつから生まれたムーブメント、キャリバー39はグラスヒュッテ・オリジナルの基幹機として、やがて同社の屋台骨を支えることとなる。