回転計算尺をアイデンティティとしながら
変化を繰り返したナビタイマーの意匠
今やブライトリングに限らず、時計産業におけるひとつのアイコンとなったナビタイマー。しかし、このニッチなモデルが世界的な名声を得るまでに、さまざまな紆余曲折があった。プロフェッショナル向けのツールはいかにして、愛好家を熱狂させる存在となったのか。1950年代からの歩みを振り返ってみたい。
Ref.9416。ブライトリングは1973年に、LEDを搭載したナビタイマーをリリースした。これは後継機のLCD搭載モデル。コストダウンのためか、防水ケースを他モデルと共有している。ラップタイマー機能を搭載。クォーツ(Cal.ESA 942.711)。SS。参考商品。
Ref.1804/14。自動巻きクロノグラフのCal.12を搭載したナビタイマー。50mという防水性能を与えるため、ケースサイズは48mmに拡大された。60年代後半以降、ブライトリングは主にケースで、新しい試みを行うようになる。自動巻き。SS。参考商品。
1942年に完成したクロノマットは、回転計算尺を持つ世界初の時計だった。しかし、計算尺の機能は限られており、通常の加減乗除と三数法の計算しかできなかった。数学を意味するマティマクスから〝マット〟と名付けた通り、ブライトリングはこれを専門家向けのクロノグラフとみなしていた。
この計算尺を全面的に改良したのが、ブライトリングに在籍していたマルセル・ロベールだった。彼はアウターリングに手を加えることで、掛け算と割り算をしやすくしたほか、複数の解答を一度に見られるように改めた。しかし、いっそう重要だったのは、航空用の回転計算尺E-6Bの機能を盛り込んだことだろう。30年代に開発され、40年に完成したこの回転計算尺は、推測航法に使える初のフライトコンピュータだった。ロベールはいくつかの要素を省くことで、パイロット用の回転計算尺を腕時計サイズに縮小することに成功した。ブライトリングが言う「タイプ52」計算尺の完成である。モデル名は、ナビゲーションとタイマーを掛け合わせた、ナビタイマーに決定された。
52年の第1作から、最新モデルに至るまで、大半のナビタイマーはメッキ仕上げの黒い文字盤を備えていた。銀メッキを施し、数字や目盛りをマスキングで覆い、上に黒メッキをかけた後にマスキングをはがして数字や印字を露出させる。この手法は、印字を転写するタコ印刷に比べて手間がかかる上、黒いメッキの発色も安定しなかった。しかし、この手法には大きな文字盤の外周にも、歪みなく精密な印字を与えられるというメリットがあった。事実、懐中時計用のムーブメントを転用した大ぶりな腕時計クロノグラフには、ギルド仕上げの文字盤が少なくない。
大きな文字盤に精密な印字を与えるべく、あえてブライトリングは、メッキ仕上げの黒文字盤をナビタイマーに与えたのだろう。現在でも発色の安定しない黒メッキを、1950年代に採用したのは英断だった。
何人かのブライトリングコレクターは、52年発表のナビタイマーは、54年まで一般人が購入できなかった、と記す。文字盤の歩留まりの悪さと、プロフェッショナルからの人気を考えれば、十分ありうる話だ。しかも奇妙なことに、50年代初頭のウィリー・ブライトリングは、一般人はクロノグラフを購入しないと思い込んでいた節がある。事実、53年と54年に、ブライトリングは、一般受けを狙ったであろう華奢なレディスウォッチと、3針のメンズモデルを数多くリリースした。
Ref.13020。1987年にリリースされた自動巻きモデル、Ref.81610の後継機。搭載するのは、ETA 7750をベースとしたキャリバー13である。精度が良く、極めて頑強なこのムーブメントは、ナビタイマーに名声を与えることとなる。また2000年以降、ブライトリングはナビタイマーのクロノメーター化を図った。自動巻き。SS(直径41.5mm)。参考商品。
しかし転機は56年に訪れる。ブライトリングはやはり広告でシンプルなモデルを強く打ち出したが、その隅に、クロノグラフのイラストも掲載したのである。広告を見た消費者たちからのリアクションは、悩んでいるウィリー・ブライトリングを喜ばせた。「ふたつのボタンを備えた、計器のような文字盤を持つ時計は一体何だ?」。ウィリー・ブライトリングは、ブランド戦略の中心に、再びクロノグラフを据えることを決めた。しかし、クロノグラフを強く打ち出すようになっても、ヒット作は相変わらずクロノマットであり、ナビタイマーはパイロット向けの〝ニッチプロダクト〟に留まり続けた。もっともナビタイマーに関して言うと、パイロットたちが変わらないことを望んだのだろう。事実、ドイツの時計メーカー、ジンの創業者であるヘルムート・ジンは、パイロットウォッチの先駆者であるナビタイマーをこう評した。「デザインは完璧であり、手を入れる余地がない」。
だが、60年代後半に入ると、ナビタイマーを含むクロノグラフの人気にも陰りが出てきた。クロノマットは生産中止となり、回転計算尺を持つクロノグラフは、ナビタイマーだけとなったのである。対して同社は、回転計算尺には手を付けなかったものの、ナビタイマーに新味を盛り込むべく、ケースや文字盤などに手を加えた。好例が「ナビタイマー クロノマティック」である。回転計算尺+防水ケースという構成は、このモデルに直径48㎜という極めて巨大なケースをもたらした。この野心的すぎたモデルは人気を得られなかったが、デザインにおける試行錯誤がナビタイマーの幅を広げたことは間違いない。少なくとも、ブライトリングは、ナビタイマーのプロ向けで、デザインも不変である、という思い込みから抜け出すきっかけを得た。
ブライトリングの経営権がシュナイダー家に移った後、ナビタイマーは再びブライトリングの基幹モデルとなり、プロフェッショナルだけでなく、時計好きの注目を集めるようになった。試行錯誤の末、原点に立ち返ったナビタイマー。その、現時点における完成形が、自社製クロノグラフムーブメントを搭載する「ナビタイマー 01」となるのだ
NAVITIMER [2011]
回転計算尺+自社製ムーブメント搭載の最高峰機
Ref.AB012012。自社製のCal.01を搭載した最新作にして、ナビタイマーの完成形である。堅牢な設計に加えて、C.O.S.C.認定クロノメーター準拠の高精度を誇る。自動巻き。47石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS(直径43mm)。3気圧防水。92万8800円。
1952年の発表以来、ナビタイマーはキープコンセプトでの進化を遂げてきた。回転計算尺付きの外装に、優れたムーブメントというコンセプトは何ら変える必要がなく、ブライトリングは常に、当時最新のムーブメントをナビタイマーに搭載することで、アップデートを果たしてきた。バルジュー72、ヴィーナス178、バルジュー7740にクロノマティック、レマニア1872に、キャリバー13。無類に頑強なこれらのムーブメントもまた、ナビタイマーの名声を支えてきた。
そうしたパッケージングの完成形が、2009年発表の自社製ムーブメント、キャリバー01を載せた「ナビタイマー 01」である。これはブライトリングらしい堅牢さに加えて、約70時間という長いパワーリザーブと極めて高い精度を持つムーブメントだった。ちなみにキャリバー01で興味深いのは、フライバック機能が付いていないことだ。しかし、同社がクロノグラフの誤作動を嫌ってきたことを思えば、あえてフライバックを載せないことも、プッシュボタンが固めであることも理解できる。押し心地を軽くしたければ、規制バネを弱めるだけでいい。しかし、バネを弱めれば誤操作を誘発し、クロノグラフは壊れやすくなる。今や、ナビタイマーの購入者の大半はプロではなく時計好きだが、ブライトリングは、新しいナビタイマーを、やはりプロ向けに仕立てたのである。
外装に関しては、もはや言うことがない。1986年に発表された81系のナビタイマーは防水性能に不安があった。しかし後継の13系では改善され、2000年以降は高級時計と言って差し支えないほど、ケースの仕上げが改善された。内外装共に、もはや完成の域に達したナビタイマー。と考えれば、その後に来るナビタイマーが、従来にない方向性を打ち出してきたことも納得できるのだ。