歯車のみの専用輪列がもたらす
拡張性と実用性

1996年の発表以来、パテック フィリップは年次カレンダーのバリエーションを大きく広げた。それを可能にした理由は、カムとレバーではなく、小さな歯車のみでカレンダーを構成したため。ここでは、その多彩なバリエーションの一部を見ることにしたい。

Cal.324 S QA LU 24H/303

ディスク表示式 [Cal.324 S QA LU 24H/303]
2006年初出。曜日とムーンディスクの駆動は同じ輪列で行っていたが、重いディスクを回すために切り分けられた。その結果、12時位置のパワーリザーブ表示が廃されたが、6時位置には筒車で駆動される24時間針が復活した。基本スペックは右に同じ。

 カムと大きなレバーを使い、自動的に日付を早送りする「非連続型」の永久カレンダー。かなり大げさな仕組みだったが、3月1日に2日ないし3日間の自動調整を実現するには、テコの原理を強く効かせられる、この仕組みを選ぶ他はなかった。この200年間に、永久カレンダーの設計が、基本的に変わらなかった理由である。しかし、永久カレンダーから3月1日の自動調整を省いてしまえば、自動日送りは1日だけで済み、設計はかなりシンプルになるだろう。

 1991年、パテック フィリップは、ジュネーブの技術学校と共同で、クォーツでは実現できない、新しい複雑機構の開発に取り組んだ。そこで生まれたのが、カムとレバーではなく、ほぼ歯車だけで構成される新しいコンプリケーション、年次カレンダーだった。基本的な骨子を考えたのは同校の学生で、完成させたのは、設計者のフィリップ・バラ(現同社設計部長)である。

 カムとレバーを使った非連続型の永久カレンダーは、両者の接触が正確でないと、カレンダーが確実に切り替わらなかった。そのため部品の調整はかなり難しかった。永久カレンダーが高くついた一因である。またテコの原理を効かせる大きなレバーはしばしば誤作動を起こし、ショックにも弱かった。

Cal.324 S IRM QA LU/399

指針表示式 [Cal.324 S IRM QA LU/399]
2004年初出。ベースをCal.315からCal.324に改めたほか、12時位置にはパワーリザーブ表示、6時位置にはムーンフェイズが備わる。代わりに24時間表示は廃された。自動巻き。34石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約41時間。スピロマックスヒゲゼンマイ。

 対して、歯車だけでカレンダーを構成する連続型の年次カレンダーは、大がかりな調整が不要なうえ、誤作動も起こしにくく、ショックにも強かった。さらに価格も、永久カレンダーに比べてぐんと抑えられた。2月末の日送りを自動ではなく手動で行うデメリットはあったが、それを補うほど、新しい年次カレンダーは実用的だったのである。もちろん、連続型の年次カレンダーにも弱点はあった。歯車を精密に作らないとカレンダーの抵抗が増え、テンプの振り角は落ちてしまうのである。しかし、パテック フィリップの場合、それは問題でさえなかった。

 鍵となったのは、1日に1回転する「24時間車」と、それに噛み合って31日で1回転する「日車」である。前者は曜日、後者は日付を先送りする役目を持つ。24時間車の同軸には、少しずらして上下に配置したふたつの突起がある。1日かけて24時間車が1回転すると、月末以外は、下側の突起だけが日車を引っかけて、日車を1コマ動かす。日車が1コマ動けば、日付は1日進む。24時間車が31回転すると、それが引っかける日車も31コマ進み、つまり日付は31日進む。

 では、6月30日の場合はどうなるのか。日付をもう1日プラスして早送りするには、6月30日の時点で、日車を2コマ進める必要がある。つまり24時間車が1日に2回、日車を引っかける必要がある。

Cal.324 S QA LU 24H/206

ディスク表示式 [Cal.324 S QA LU 24H/206]
2010年初出。基本は右のムーブメントに同じだが、カレンダーディスクはより拡大された。また、書体も太くされた。視認性を重視する、今のパテック フィリップらしいモディファイだ。このモジュールは、現在Ref. 5960など、複数の年次カレンダーが採用する。

 日車の上には、シーソー状に首を振る「月表示ロッキングアーム」が内蔵されている。6月30日になると、ロッキングアームが首を振り、その先端が飛び出す。飛び出した先端が、24時間車の上側の突起に接触して、日車を1コマ進める。続いて、少しずれて配置された下側の突起も日車を引っかけて、さらに1コマ動かす。日車は合計2コマ進み、カレンダーは7月1日に切り替わる。シンプルな機構だが、誤作動は起こしにくいし、ショックにも強い。また、精密に加工された歯車により、カレンダーを動かしても、テンプの振り角はほとんど落ちなかった。

 大きなレバーでなく、小さな歯車だけで構成される年次カレンダーには、実用性以外に、もうひとつの副産物があった。歯車の位置をずらすだけで、多彩なカレンダー表示を実現できたのである。好例が、2枚のディスクで月と曜日を表示するRef.5396だろう。ムーブメントの基本設計はRef.5146と同じ。しかし、月と曜日を表示する軸を12時方向に上げ、それぞれの軸に、月と曜日を表示するディスクを取り付けている。また、月表示ロッキングアームも強化された。

 パテック フィリップらしいのは、2枚のディスクの動きだ。オリジナルのRef.5035、後継機のRef.5146ともに、日付をのぞくカレンダー表示は、すべて指針表示式である。針は軽いためトルクを消費しにくいが、重いディスクはトルクを消費し、テンプの振り角を落としてしまう。普通はカレンダーの切り替え時刻をずらしてトルクの消費を均一化させるが、パテック フィリップのディスク表示式年次カレンダーは、重いディスクを回すにもかかわらず、3時間以内でカレンダーの切り替えを終えてしまう。

Cal.324 S IRM LU/762

シリンバー脱進機搭載モデル [Cal.324 S IRM LU/762]
2006年のRef.5250R「アドバンストリサーチ」が搭載したムーブメント。基本はRef.5146に同じだが、シリンバー製のパルソマックス脱進機を備える。磁気の影響を受けないため、携帯精度はさらに向上した。ヒゲゼンマイの復元性も高いため、理論上は衝撃にも強い。

年次カレンダーの鍵が、24時間車(手前)と、それに噛み合う日車(奥)である。普段の噛み合いは1日に1回。しかしその月が30日で終わる場合、イルカの形をした月表示ロッキングアームが飛び出して24時間車の突起に引っかかり、日車をプラスひとコマ進める。

 なおカムとレバーを使った永久カレンダーや年次カレンダーは、ディスク式のカレンダーと相性が良い。というのも、テコの原理でカレンダーを動かすため、重いディスクを動かしやすいのだ。今ある瞬間切替式の永久カレンダーもほぼこの仕組みを採用している。対して歯車が噛み合うだけの年次カレンダーや永久カレンダーは、テコの原理を効かせられないため、重いディスクは動かしにくい。理論上は極めて難しいものを、パテック フィリップは実現してしまったのである。

 歯車式の年次カレンダーにもかかわらず、重いディスクを動かすことに成功したパテック フィリップ。同社は2010年に、ディスク面積を広げた、新しい年次カレンダーをリリースした。その結果、視認性は改善され、時計としての実用性はいっそう増した。

 歯車のみの専用輪列というメリットを生かして、パテック フィリップは、年次カレンダーに多彩な表現を与えてきた。しかし、驚くべきは、その基本設計が1996年のファーストモデルからほぼ大きく変わっていないことだ。パテック フィリップの年次カレンダーが、傑作と称される所以である。